松竹伸幸さんの除名には重大な瑕疵があると党内の会議で発言したため、幹部に目をつけられ、ありもしない「規約違反」を責められて共産党を除籍・解雇された神谷貴行です(現在係争中)。
松竹さんがらみの問題(私の問題もそうですが)はとかく感情的になりがちですが、やはり松竹さんが裁判を起こして改めて裁判で問われていることがあると思います。そのことを松竹さんに立つ側も、被告側(共産党幹部側)に立つ人も、落ち着いて考えてみるいい機会ではないでしょうか。裁判はそうした根本の問題を考えてさせてくれる絶好のチャンスです。

憲法学者である渋谷秀樹さんの鑑定意見書や栗島智明さんの意見書が出て、改めて考えるべきだと思うのは、「政党は結社の自由を重視されるものだから、ほぼ完全に自治が許される存在であっていいのか」それとも「日本の民主主義システムを担う公的な存在として、ある程度公的なルールにしたがってもらうのか」、どちらなのかということです。
https://matutake.sakura.ne.jp/assets/pdf/20250508_tokyo_chisai/20250508_genkoku_matsutake_kou29.pdf
この話は、松竹さんの有料メルマガの最新号(No.64 2025.06/5)で提起している問題です。渋谷さんも共産党も「政党が国民の意思を国政に反映させるものであり、議会制民主主義を支える重要な存在」という点は実は共通していますが、そこから出てくる結論が正反対になるのです。「だから国は介入できない」「だから公的ルールには一定従うべき」と。
「どちらの言い分もある程度わかる」というのが正直なところですし、松竹さんも本や裁判でことあるごとにそういう二面性があることは語っています。難しいところなんですよね。本来、こうした問題こそ党大会などできちんと議論されて然るべきものだと思いますが、そういう問題は全党の討論にはかけられず、情報も含め幹部が事実上扱いを独占してしまっています。
ただ、私自身の裁判で言えば、単なる組織上の処分や措置の問題にとどまらず、ハラスメントや解雇といった人権侵害を党幹部が平気で行って、「これは党内問題だから司法は口を出すな」と主張しているのをみると、やはりある程度公的なルールに従ってもらうのは当然だという気持ちが強くなります。
しかも昨今、ハラスメントを受けたということで離党・除籍などが相次いでいることや、党の県委員会が労働法令違反をして労基署から是正指導を受けていたこと、“党職員は革命家なのだから労働者ではない。コンプライアンスなんかクソ喰らえだ”という趣旨のコメントをSNS上で党員やシンパが平気で触れ回り、被害者やその支援者をいじめていることなどをみると、「人権問題でも党内問題だと判断したことには司法は口を出すな」「ノー・コンプラ!」などとはとても言っておれないと思います。「治外法権」にしてきたことが、幹部が組織を私(わたくし)し、人権侵害をほしいままにする絶好の口実になってきたからです。
他方で、「しかし政党がドイツのように公的な枠組みにすっぽりハマってしまうと、かなりキツく統制されてしまうのではないか」という懸念があると思います。この問題をどうすべきでしょうか。
この点では、私は私も共著者の一人になった『松竹さんを共産党に戻してください』(あけび書房)にある伊藤真さんの整理が大事だと思います。
伊藤さんは、政党は政権を担う可能性もあることを指摘した上で、自主的・自律的・自治的であることと、一定の規制をどう両立させるかを二つの方法で考えます。
一つは、立法による統制です。ドイツを例にとっています。
もう一つが、司法による統制です。
立法による統制が多数派に都合のいい統制になりやすいのに対し、司法による統制は、少数者の人権保障が中心になります。
つまり、まったく無制限に政党の自主性にまかせると、政党という巨大組織での人権侵害を放置してしまうけど、司法が少数派の人権を救済することはきわめて限定的にできるという論点だと読みました。立法・行政による統制と区別して、司法による少数派への限定的な人権救済をすることを考える視点は、私には大変有益なものだと思いました。
「ですから、政党法などの法律をつくって内部的な組織運営をコントロールしようとすると、その時々の多数者による支配、多数派に都合のいい政党法というものができ上がってしまうおそれが生まれます。そのため、この立法による統制方法は極めて慎重でなければなりません。/それに対して司法による統制ということを考えた場合には、少数者の人権保障が司法の重要な役割であることを想起しなければなりません」(p.119)「立法権・行政権という権力の介入と司法権の権力の介入とでは、その目的、影響、効果がまったく違うではないかということです」(同前)
私はこの際、司法による人権救済ということを念頭において、純粋な党内の組織問題は党内で解決するが、犯罪・ハラスメント・解雇などの人権侵害の疑いは、党員が外部に知らせる権利があるということをきちんと認めるべきだと思います。これは共産党袴田事件判決が、一般市民社会の法秩序にかかわるもの以外は党内で解決すべきだ、と言ってることとも整合性があると思います。
最後にですが、本当なら新しく発展した人権意識やコンプライアンスなどを踏まえて、これまでの組織原則や組織のあり方を発展させるように提起するのは党幹部の責任であると思います。
例えば党職員の働き方を「労働者のようなものにすべきでない」というなら、それに見合った契約の形態を、コンプライアンスと両立するように、きちんと具体的に提起すべきなのです。あくまで一例ですが、完全に指揮命令を受けず、会議などの時間拘束も場所拘束も受けずに成果だけを求められる「業務委託」にするなら、そのような実態にし、必要なルールを設けるべきではないでしょうか。そういう努力もしないのに、いくら口で「両立させろ」と言っても無理筋な話です。党幹部であるということはそのような新しい事態に対して、体系的な提起を行う弁証法的な思考を求められている存在であるということなのです。ふんぞりかえって電話で「本気で増やすつもりがあるのか。構えが問われるぞ」と立場の弱い現場に圧をかけることではありません。
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