日本共産党が民主主義の政党であることを辞めたと悟った

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どうして日本共産党?①

 1986年に18歳で日本共産党に入党した私は、ずうっとこの日本共産党という政党を支持してきました。1992年から4年ほどは専従として文字通り青春時代の大半をこの党に捧げてきました。2009年に離党(所属支部の所属地区委員会に郵送した離党の通知がどう処理されたかは知りません)してからもずうっと支持し続けてきました。支持の一形態として他党に投票したことが一度だけありますが、それ以外はすべて日本共産党もしくはその候補者又はその推薦候補者にのみ投票してきました。どうして日本共産党だったんだろう・・・

 私が日本共産党に託したもの。それは平和、民主主義、社会的弱者の救済、そしてその方向での社会変革に他なりません。日本の平和を実現した者も、それ守ってきた者も、これから真の平和を実現する者もそれは日本共産党でした。日本の民主主義を本物の民主主義に発展させる者、それも日本共産党でした。社会的弱者を救済し、そして社会を根本から変革する者、それこそが日本共産党でした。日本のありとあらゆるところにはびこるハラスメントを根絶する者・・・それももちろん日本共産党でなくてはならなかったのです。

 それはそうでしょう。日本共産党の綱領にはそういったことが書かれています。日本共産党は私に入党を働きかける際、そのようなことを繰り返し言いました。そして私自身がその一員として、日本共産党をそのような者たらしめんと努力を惜しまなかったつもりです。身体を壊して専従者としてそれをすることができなくなった後も、思うところあって離党した後でもそのことだけは期待し続け、だからこそ支持も続けてきました。

 その私の中の日本共産党が音を立てて崩れ去ったのです。はじめは松竹伸幸さんの除名から数週間後、2023年3月1日、なにかがおかしいといった程度でした。はじめのうちはSNSで発信し続ければ、党もそのうち気づくだろうと高をくくっていました。半月ほどたったとき、今度は鈴木元さんが除名されました。かなりいい加減な手続きだということが伝わってきました。これはまずい。私は支持者をやめることを表明することとしました。届くかどうかはわからなかったがなにかを届けたいと思ったのです。

 最終的に私の期待が完全に裏切られたのは2023年6月の第8回中央委員会総会。志位委員長(当時)が党に対するありとあらゆる批判を反共攻撃と位置づけ、党指導部(たる自分)に対する攻撃は党そのものに対する攻撃だと言ってのけたのです。私は日本共産党が民主主義の政党であることを辞めたとのだとそのとき悟りました。

 民主主義に背を向ける日本共産党になど私は興味がありません。日本共産党が民主主義の担い手であると言いうるためには、少なくとも規約は厳格かつ民主主義的に運用されなければなりません。そのなかでも党員の処分、とりわけ除名処分は最も厳格になされなければなりません。

 そんなわけで松竹伸幸さんのこの裁判は、私にとっては日本の民主主義そのものが問われる裁判だということになるわけですが、長くなったので今日のところはこのくらいにしておきます。つづきはまたこんど。

とのさまがえる

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